前回、雪新公『エリザベート』の、
全体的な感想は書いたので、
今回は、コマトート閣下様について、熱く、熱く笑、語って参りたいと思います。

私、あんなに能動的なトート閣下様、初めて廻り逢いましたよ?

何ていうんだろう?
言葉で表現するのは難しいんだけれども、

本当に、『能動的』って表現が、一番しっくりくると思います。

                   
誠実であるいは紳士的な一路トート閣下風でもなく、

エロスただ漏れの麻路トート閣下風でもなく、

性急で攻撃的な姿月トート閣下風でもなく、

人間的な感情の高ぶり方がとても魅力的なサエトート閣下風でもなく、

冷たく地を這うような水トート閣下風でもなく、


                        
(↑ ぃや、全て私の勝手なる偏見ですので、ご容赦願います。)

コマが生み出した、コマだけのトート閣下様がそこの居た、みたいな(!)

                          
何ていうんだろう?
熱いんだけれども、かといって、人間的な感情の高ぶりでないというか、
かといって、死神的なものでもなく、何かこう、不思議な熱を発している感じ?謎

宙加減というか、
人間という存在と、死神という存在の、良い具合の狭間、バランス加減で、
コマならではの魅力的なトート閣下像を生み出し、創り上げてきているな、という感触。

何ていうんだろう?

死神とは、死神でしか在りえない存在で、
ある意味、
神秘的とはいえども、その実、とても孤独な職業?だとも思うのね。

だって、永遠に生き永らえる命。
青い血を流す傷口。

たとえ、あたたかさに触れようとも、触れることのできない、その魂。

交わりたくとも、交わることのできない、その宿命。

私の大好きなサエトート閣下様は、人間に恋してしまったように見えた。
感情が、とても人間的で、
その繊細な表現と、妖しいまでの孤高の美しさに、魂吸い込まれそうになった。

今回の、コマトート閣下様は、
人間に恋してしまったようで、実は、それは、恋ではなく、恋と似たようなもので。

何ていうんだろう?

人間という存在に、憧れを抱いているようで。
シシィという、崇高な魂と強い生命力を持った一人の女の子に、
その琴線に触れた瞬間、自らの持つ孤独と負の部分に気づいてしまったような…

愛している〜というより、
シシィという、自分自身の鏡を通じて、自分自身の姿を映し出しているみたいな。

ナルシスティックといってしまえば、
それまでだけど、そんな軽々しいものなどでは、決してなく、
私は、寧ろそこに、コマトート閣下様の力強い個性を感じた。

何かね、魂揺すぶられるのよ。
だってね、コマトート閣下様の射と魂から発される熱を感じて。
ぐいぐい引き込まれていく。

シシィもきっと、そんな感じだったんじゃないかって。

姿は見えない。
だけど、姿は見えないが確実にそこに在るもの-トート閣下の存在-に、
ぐいぐいと引っ張っていかれるようなその感覚。

それはまるで、巨大なブラックホールのような。

抵抗したくても、抵抗しきれない。
寧ろ、逆に、自分から、それを求めて吸い込まれていっていたり。
無意識の内に、購えないその引力。

それって、引っ張っていくほうも、吸い寄せられていくほうも、
想像以上に、絶大なパワーを要すると思う。

それこそ、本来の自分の力以上に、巨大な頑固さで立ち向かわないと、
役に負けてしまうと思う。

それで、コマトート閣下様は、凄いと感動を受けた。

なぜなら、
本役のコピーをすることは、簡単だけれども、
敢えてそれをせずに、
自らの生命力で、役に立ち向かっていったように、私の瞳には、映ったから。

オスカル様でもそうだったんだけれどもね。

本役ファンからすると、
それがどう映るのか、私には分からないけれども、とりあえず、私はコマが好きだ笑

今はまだ、
コマトート閣下様の全てを、言葉で上手く表現できないから、
また、何かが降臨してきたら、

新公含め、舞台『エリザベート』に於ける主人公トート閣下の魅力とは、
如何なるものや?ということを、語ってみたいなと思います。

…って、その前に、本公話もまだしていないし、
というか、星公演の話も、まだ実は、終わっていないんだけれども爆

6月は超絶忙しいので、また冬眠していたらごめんなさいね。

ま、マイペースに続けていくことにいたしましょう。

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