純粋に宝塚を愛するハート@花新公「明智小五郎の事件簿」
2007年2月26日 花組 きっと、変な先入観を持っていないのが良いのだと思う。
偏見なく、観れるから。
余計なこと、考えず、舞台に入り込めるから。
最近、新人公演をよく観るようになって、そう改めて実感したんですよ。
やっぱり本公演は、
前もって、観る前から、選り好みしてしまうから、
苦手なスターさんは、視界に入ってこないし、そもそも、センター、及び、その付近のスターさんに、特別お気に入りのヒトが居なくて、「目的」がないと、どうしても、じっくりと観ようという「意欲」を削がれてしまうというか。
殊に、真ん中に立つ方が、自分のテリトリーから少し逸れる、となると、その傾向が私の場合、顕著で。
まだ、若手さんや娘役さん、ある程度、下級生まで名前と顔が掴めていたら、役のないところで、そのヒトたちを観察したり、そういう楽しみ方もできるんだけれど、それすら、なかったらね^^;
でも、新公だと、
純粋に、舞台をあたたかい心で、見守れるというか、
みんなが、一生懸命、それぞれの役に取り組んで、役のない子たちも、キラッキラに頑張って、みんな、良い表情をしているのが、嬉しいの。
そんな姿を生の空間で感じられるだけで、来た価値があると思えるの。
いや、別に、本公が真面目じゃないとか、そういうことではなくて。
ただ、本公は、既に立場が「形成づけられている」から、それが、(私たち観客側にとっても)きっと、無意識の内に、当たり前な感覚で観ていて。そうすると、大切なモノを見失ってしまっているような気がするの。私がね。
どうしても、そこに、邪念や邪推が入ってしまうというか、純粋に舞台を楽しむことが、実は、気づかないうちに、できなくなっていっているんじゃないかって。
…宝塚ファンとして、のめりこむほどにね。
…ディープになっていけば、いくほどにね。
なんか、年々、「大切な何か」を忘れていってしまっているような。
そんな私にとって、
新公は、昔の、初めて宝塚の舞台に触れたときのような、
純粋に、舞台を愛する気持ちを、取り戻してくれる、そんな存在なのかもしれない。
そんなことを思った、今回の花組新人公演。
マニアックになりつつも、書き綴っていけたら、と思ふ。
偏見なく、観れるから。
余計なこと、考えず、舞台に入り込めるから。
最近、新人公演をよく観るようになって、そう改めて実感したんですよ。
やっぱり本公演は、
前もって、観る前から、選り好みしてしまうから、
苦手なスターさんは、視界に入ってこないし、そもそも、センター、及び、その付近のスターさんに、特別お気に入りのヒトが居なくて、「目的」がないと、どうしても、じっくりと観ようという「意欲」を削がれてしまうというか。
殊に、真ん中に立つ方が、自分のテリトリーから少し逸れる、となると、その傾向が私の場合、顕著で。
まだ、若手さんや娘役さん、ある程度、下級生まで名前と顔が掴めていたら、役のないところで、そのヒトたちを観察したり、そういう楽しみ方もできるんだけれど、それすら、なかったらね^^;
でも、新公だと、
純粋に、舞台をあたたかい心で、見守れるというか、
みんなが、一生懸命、それぞれの役に取り組んで、役のない子たちも、キラッキラに頑張って、みんな、良い表情をしているのが、嬉しいの。
そんな姿を生の空間で感じられるだけで、来た価値があると思えるの。
いや、別に、本公が真面目じゃないとか、そういうことではなくて。
ただ、本公は、既に立場が「形成づけられている」から、それが、(私たち観客側にとっても)きっと、無意識の内に、当たり前な感覚で観ていて。そうすると、大切なモノを見失ってしまっているような気がするの。私がね。
どうしても、そこに、邪念や邪推が入ってしまうというか、純粋に舞台を楽しむことが、実は、気づかないうちに、できなくなっていっているんじゃないかって。
…宝塚ファンとして、のめりこむほどにね。
…ディープになっていけば、いくほどにね。
なんか、年々、「大切な何か」を忘れていってしまっているような。
そんな私にとって、
新公は、昔の、初めて宝塚の舞台に触れたときのような、
純粋に、舞台を愛する気持ちを、取り戻してくれる、そんな存在なのかもしれない。
そんなことを思った、今回の花組新人公演。
マニアックになりつつも、書き綴っていけたら、と思ふ。
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