確かに、
 江戸川乱歩原作の黒蜥蜴も、少女性を秘めていると思う。
 
 大胆不敵な微笑み、
 華麗たる犯行の数々、
 美しいモノへの執拗なまでの執着ぶりと、美に対する永遠の憧れ。

 そこには、拙い幼さと、純粋なまでの残虐性を、痛いほど感じるから。

 だけど、それは、
 黒蜥蜴が黒蜥蜴であってこそ、初めて成り立つモノでもあるのだ。

 外見は、成熟した女性。
 妖艶な艶めかしさ。
 
 それは、瞳をギラつかせた獣たちが、
 欲情をムラムラと燃え上がらせて、
 今にも女に向かって、物凄い勢いで突進してきそうなほど。

 だけど、黒蜥蜴は、微動だにしない。
 そこに立っているだけで、男たちを皆、跪かせることのできる、闇の女王様。 
 
 その威圧感。
 神々しいまでの気高さ。
 そこに居るのは、黒蜥蜴というヴェールに、少女の魂を封印した独りの悲しい女。

 その女の瞳は、いつだって悲しい。
 剛情な仮面の下で、泣いている。

 女は、求めているのだ。

 永遠の愛を求め、孤独という名の闇の中で、独り、切望しているのだ。

 私は、原作を読んで、
 黒蜥蜴という女に、そんな悲しみの宝石を、感じた。

 そして、今回の花組公演『明智小五郎の事件簿』。 

 えっとね。
 何て言ったら良いんでしょうか??

 既に、フォローのしようがないんですけれど汗

    
 何かが激しく盛大に間違っているような気がするのは、私の気のせいなのでしょうか??

              
 あのさ、
 少女が少女性を表現したって、それって、全然意味ないと思うんですけど!?

     
 ゃ、確かにさ、
 彩音ちゃんのせいだけでは、ないけどさ…
 (←でも、かなり彩音ちゃんの演技って、…だったりするのかな?実は?)

 っつか、そもそも、キムシンの描く黒蜥蜴像自体に問題ある気もするんだけどさ、

 なんかさ、

 少女漫画の少女風味で、黒蜥蜴が黒蜥蜴としてなっていないように見えるのよ。
        

 いっそ、外見は冷酷なおたかい女で、
 弱みを曝け出すのは、ヒトリのとき、あるいは、ふとした瞬間に潤ちゃんに、
 そして、最後、(原作で言うと)追い詰められて自害しようと毒を呑み、そこに入って来た明智小五郎に抱かれて、そのとき、だけとかなら、素敵なんだけれども、

 売店の親父爆の前で、「少女」を曝け出すのは、如何なものなのかなぁ?

松公の前で、明智への秘めた愛を語り始めるのは、如何なものなのかなぁ?



 何故に黒蜥蜴、髭もじゃもじゃの親父にそんなに弱い?大爆
 
                        
 ゃ、どっちも、明智の扮装なんですがね、
 やっぱり、不自然だし、意味分からないし、おかしいよ。

 …ってか、それじゃ、あまりに警戒心がなさすぎるよね^^;

             
 と、ツッコミまくっておきながらなんですが汗

         
 冒頭の、彩音たんに弄ばれる男ゆうくんには、無性にときめきました。

 あまりに潔いヒゲヅラゆうくん、その名も潤ちゃん。

 ってか、もしかしなくても、全編通じて、あそこが一番、彩音ちゃん、黒蜥蜴っぽかったかもしれない大爆

       
 ゃ、彩音ちゃん、頑張ってましたよ。
 奮闘していましたよ。
 一人称『ぼく』とか、最高に素敵だったし(!)

 だけど、ちょっとまだまだいっぱいいっぱいだったかな。
 とゆーか、背伸びしても手の届かないところに、黒蜥蜴は居ると思うのですが。

 というわけで、キムシンへの恨みは続く。(ぇ?) 

コメント

最新のコメント

日記内を検索