2006年12月25日

 それは、月船さららさんが、東京宝塚劇場に別れを告げられた日。
 宝塚歌劇団を御卒業された日。

 今になって思う。
 あの日は、本当に凍えるほどに寒い日だったよなって。

 でも、吐く息の白さも、入り待ちのときのからだの冷えも、覚えているんだけれども、
 なんだか、すべてが夢のようで。
 あるいは、まだたった昨日のことのようで。

 矛盾しているんだけれども、何だか、不思議な感覚。

 今でも大切に取ってある。
 入りのとき、皆で叫んだ?、さららさんへのメッセージが綴られた紙の一切れ。
 入り待ち後、皆で撮った、一枚の写真。

 入り待ちの後、喫茶店であったかいコーヒーを飲んだんだった。
 涙はなく、
 明るい話で盛り上がって…。

 直前まで、チケットを用意していただけるかどうか、不安でたまらなくて、
 だから、受け取ったときは、とても嬉しかった。

 二階の後方サブセンで、私たちだけちょっと離れたところに居たんだけれども、
 そんなの、どこだって良い。
 とりあえず、今は、ここで、この空間で、しっかりと感じていたいから。

 開演アナウンスが流れた。
 幕があがった。
 正真正銘、宝塚でのラストステージ。

 お芝居も、ショーも、必死に、その一瞬一瞬を、この瞳に焼きつけた。

 いっつも、最高の幸せをいただいていた、ショーの中盤、
 さららさんで始まり、さららさんで終わるシーン。
 そこも、一瞬たりともその表情、そのすべてを見逃すまい!と、瞬きもせずに。

 それは、長いようであっという間の時間で、
 気づいたら、名前を呼ばれて、「はい!」と明るいさららさんの声。
 大階段のてっぺんから、緑の袴姿で降りてきた。

 とっても清清しくて、充実感と幸福感に満ち溢れた、その表情に、
 真っ赤な薔薇の花束が、いっそう華を添えていて。
 情熱と熱い魂…さららさんにぴったりな花束。

 そして、御挨拶。
 あんな御挨拶ができるのは、世界中探しても、きっと、さららさんしか居ないと思う。

 私は、そんなさららさんが大好きだったんだ。
 泣き笑い、大変だったよ笑
 
 でも、立派だった。

 終演後、すぐに外にスタンバイ。

 実際は、外はものすごく寒かったはずなんだけど、
 冷気とか、すごかったんだと思うけど、
 何故か私、そのとき、「暑い暑い!」って言っていたような記憶が…^^;

 きっと、舞台から感じた熱気が、まだ冷め切っていなかったんだね。

 最初、帝国ホテル側に整列して、それから、劇場前に異動して、一列に整列したんだけれども、
 そのときにね、後ろにスタンバイしていらしたゆうひさん会の方だったかな?にかけられたあたたかいお言葉が忘れられない。
 何て言われたのかは覚えていないんだけれど、その一言で、余計な重みが取れて、すごく心がほっとして、あたたかくさせていただいたことを、今でも、昨日のことのように覚えているの。

 偶然ね、
 ちょうど真ん中辺りの、良い位置に居たから、
 さららさんの表情がよく見えて、さららさんの生声挨拶も、しっかりと聞こえて、嬉しかった。

 そして、その後、すぐにホテルへと急いだんだよな。
 
 フェアウェルはね、
 私的には、やはりムラのほうが思いいれが強くて、
 東京では、何ていうか、さららさんはやっぱりスターさんだったんだなっていうか、上手く言えないんだけれども、そんな印象を受けて。

 それが、良い悪いとかじゃなくて、やっぱり上手く言えないんだけれどもね。

 始まるのが遅くて、
 夜行バスに間に合うかどうか、ぎりぎりの時間になってきて、
 私、「もう、夜行バスなんてどうだって良い!絶対最後まで居る!!」って叫んだ記憶が笑

 結局、間に合ったんですけれどね笑

 全身真っ白で、
 手には、一輪の薔薇を持って、
 泣きながら、関西弁で悲しみを紛らわすかのように話し続ける私たち(二人で帰りました☆)。
 はたから見たら、きっと、かなりの変人だったんだろなー^^;

 翌朝、京都に着いたら、真っ白雪化粧していた。
 そう、大雪のせいで、大阪への到着も、だいぶん遅れたんだ。

 でも、それが行きじゃなくて、本当に良かった。
 多分、神様が私たちに、味方してくれていたんだね、と今ではそう思うことにしている。
  
 家に帰った私は、その日、抜け殻のように夕方まで眠り続けた。

 そんな2006年のクリスマス。
 あれからもう一年か。
 
 そして、今年のクリスマス。
 私は今、なぜか、ドラマシティ前に居る笑

 でも、忘れないよ、あの日のこと。(→…って、お前はジャンPか?笑)
 私は、今でもさららさんのことが好きだし、変わってはいない。

 勿論、姫のことも、大好きなんだけどね笑

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