2005年8月11日。
それは、さららさんが、
東京大劇場公演『JAZZYな妖精たち/REVUE OF DREAMS』 千秋楽
12月25日 クリスマスに、宝塚歌劇団をご卒業されることを、公の場に発表された日。
………
私は、先のバーボン茶から、それを予期していた。(7月18日の日記参照)
だけど、そんな不安な気持ちを、必死になって押し堪えていた。
そんなこと、あるはずない。
全てが、ただの錯覚だ。
そう、無理に信じ込ませ、自分で自分の心を支え、生きてきた。
だけど、どんなに嘘をついても、
この胸の中のもやもやとした不吉な予感は、おさまることがなかった。
不安で不安でたまらないあまり、
あのとき、某掲示板を毎日のぞいたりしていたけれど、
集合日の数日前になっても、さららさんに関する退団の噂は全く流れていなくて。
どこか、信じていたい自分も居た。
自分の中で、X DAYと名づけていたその日。
何が何でも入り出待ちともしなければならない!と、神からのお告げを受け、
覚悟を決めて、家を出た。
ギラギラと焼けつくような太陽の日差し。
広がる青空。
その日は、まさに真夏日そのもの、空はカラッカラに晴れ渡っていたんだ。
電車の中でも、
宝塚南口駅からスタンバイ場所へ向かう間も、私の不安は、一向におさまることがなかった。
寧ろ、どんどん大きく膨らんでいった。
だって…
スタンバイ場所に着いたとき、
皆の表情も、心なしかいつもと少し違って見えたんだもん。
何か、思いつめたような…覚悟を決めたような。
>後から聞いた話だが、
そのとき、既に<退団の事実を>知っていた方も数名いらっしゃったらしい。
私は、そのとき、まだ何も知らなかった。
でも、さららさんが向こうのほうから歩いてこられた瞬間、全てを確信したよ。
だって…
とっても美しかったんだもん!!!
いや、いつだってさららさんは美しいけれども、そのときは、確かに後光が差していたの。
神聖なオーラというか、
透きとおるように真っ白な光というか、
いうならば、退団者独特の、汚れのない美しく透明な輝き。
その瞬間、私は確かに確信したんだ。
いつもどおり、「おはようございます。」と言って、さららさんにお手紙を渡した。
さららさんの瞳が、いつもと少し違っていた。
すごく、深くて、深くーて、何ともいえない表情で。
後ろをついて歩いていく間中も、ずっと、私は、その輝きを感じていた。
嘘みたいに聞こえるかもしれないけれど、
でも、本当に、あの朝のさららさん、純白の天使のように、お美しかったんだ。
「いってらっしゃい!!!」
いつものように、楽屋口前で、声を揃えて、さららさんを送り出す私たち。
笑顔で手を振ってくださるさららさん。
そこから、私にとって、とてつもなく長い一日が始まった。
私は、ある方と二人で、ずっと居たんだけれど、
大劇場フルール店内で、
しばらく二人とも、押し黙ったままでね。
ちょっと経った頃、重い口を開いて、
「…あの...さららさん……もしかして?」
「たぶん…ね。」
それから、二人でたくさんたくさん話して。
一人で抱え込んでいたら重過ぎる不安も、
二人で共有すれば、泣きながらでも、お互いを心で支え合えるの。
さららさんのこと、いっぱい話して。
出待ちスタンバイに行く頃には、その事実を既に知っていた。
何故なら、その方のところへ、電話が入ったから。
「挨拶状、届いたらしいよ」って。(泣)
少し早めにスタンバイ場所に行くと、私たちが先頭だった。
やがて、それぞれの場所から皆(ほぼ入り待ちと同じ面子)、集まってきたんだけれど、ね、苦しかったよ。
だって、まだ公の場には発表されていない以上、口にすることはできなかったのよ。
(>その時点では、まだ携帯にも発表が出ていなかった)
想いを共有したいのに、それが許されないもどかしさ。
針をさすと、粉々に散らばってしまいそうな繊細で脆いガラスの膜のように、
張り詰めた、何ともいえない悲しく重い空気が広がっていてね、
私は、そのまま黙っていたら、ぐちゃぐちゃに壊れてしまいそうで、
無理に、笑顔をつくって、しゃべり続けた。
人は、悲しすぎると、却って、無理に明るく振舞ってしまうものらしい。
>後から聞いた話、皆、私のことを心配して下さっていたらしいが。(まだ、さららさん退団のことを知らないんじゃないのだろうか?と。)
大丈夫。
そのときには、もう知っていたよ。
…って、全然、大丈夫、じゃなかったけど。
長い時間が経って、ようやくさららさんが楽屋口から出てこられた。
私たちは、そこで待って下さっているさららさんの元へ、急いで駆けていった。
夕陽差し込む花の道を。
そして、いつもの場所まで、さららさんについて、歩いていく。
皆、泣きそうになりながら、でも、無理に笑顔をつくって、
さららさんに、お手紙をお手渡しして。
やがて、さららさんは、
一人一人の顔を、ゆっくりしっかりと見つめてから、
一呼吸して、覚悟を決めたように、静かに私たちに向かって語り始めた。
「皆さん、もう知っていると思いますが……」
これから先は言わない。
でも、人間って不思議だね。
あのとき、私、あんなに放心状態で聞いていたはずなのに、
何故か、一言一句、覚えていたんだもん。
完全に、ではないけれど。
そして、最後にもう一度、
一人一人の顔を、しっかり見つめてから、さららさんは、お帰りになられた。
笑顔で、何度も何度も振り返っては、手を振って下さって。
中には、嗚咽している方もいらっしゃったんだけれども、
あのとき、確かにあの空間は、あそこに存在していたと思う。
この日から、私たちは、さららさんと共に、青春を走り抜けた。
どこまでも、どこまでも、夢に向かって、走り続けた。
皆、さららさんのことが、好きだったから。
あれからもぅ一年。
なんて、ときが過ぎるのは、早いんだろう。
一年後の今日、
私は、この日記を書いている。
心の宝物箱の中の、あの夏の日のことを思い出しながら…。
今尚、こうしてさららさんファンで在り続けられていることが、
私にとっては、何よりも幸せなことであり、生きる糧になっているんだろうな。
だから、これからもこの想いを大切にしていきたいです!!!
さららさん、大好きだ(0^−^0)
それは、さららさんが、
東京大劇場公演『JAZZYな妖精たち/REVUE OF DREAMS』 千秋楽
12月25日 クリスマスに、宝塚歌劇団をご卒業されることを、公の場に発表された日。
………
私は、先のバーボン茶から、それを予期していた。(7月18日の日記参照)
だけど、そんな不安な気持ちを、必死になって押し堪えていた。
そんなこと、あるはずない。
全てが、ただの錯覚だ。
そう、無理に信じ込ませ、自分で自分の心を支え、生きてきた。
だけど、どんなに嘘をついても、
この胸の中のもやもやとした不吉な予感は、おさまることがなかった。
不安で不安でたまらないあまり、
あのとき、某掲示板を毎日のぞいたりしていたけれど、
集合日の数日前になっても、さららさんに関する退団の噂は全く流れていなくて。
どこか、信じていたい自分も居た。
自分の中で、X DAYと名づけていたその日。
何が何でも入り出待ちともしなければならない!と、神からのお告げを受け、
覚悟を決めて、家を出た。
ギラギラと焼けつくような太陽の日差し。
広がる青空。
その日は、まさに真夏日そのもの、空はカラッカラに晴れ渡っていたんだ。
電車の中でも、
宝塚南口駅からスタンバイ場所へ向かう間も、私の不安は、一向におさまることがなかった。
寧ろ、どんどん大きく膨らんでいった。
だって…
スタンバイ場所に着いたとき、
皆の表情も、心なしかいつもと少し違って見えたんだもん。
何か、思いつめたような…覚悟を決めたような。
>後から聞いた話だが、
そのとき、既に<退団の事実を>知っていた方も数名いらっしゃったらしい。
私は、そのとき、まだ何も知らなかった。
でも、さららさんが向こうのほうから歩いてこられた瞬間、全てを確信したよ。
だって…
とっても美しかったんだもん!!!
いや、いつだってさららさんは美しいけれども、そのときは、確かに後光が差していたの。
神聖なオーラというか、
透きとおるように真っ白な光というか、
いうならば、退団者独特の、汚れのない美しく透明な輝き。
その瞬間、私は確かに確信したんだ。
いつもどおり、「おはようございます。」と言って、さららさんにお手紙を渡した。
さららさんの瞳が、いつもと少し違っていた。
すごく、深くて、深くーて、何ともいえない表情で。
後ろをついて歩いていく間中も、ずっと、私は、その輝きを感じていた。
嘘みたいに聞こえるかもしれないけれど、
でも、本当に、あの朝のさららさん、純白の天使のように、お美しかったんだ。
「いってらっしゃい!!!」
いつものように、楽屋口前で、声を揃えて、さららさんを送り出す私たち。
笑顔で手を振ってくださるさららさん。
そこから、私にとって、とてつもなく長い一日が始まった。
私は、ある方と二人で、ずっと居たんだけれど、
大劇場フルール店内で、
しばらく二人とも、押し黙ったままでね。
ちょっと経った頃、重い口を開いて、
「…あの...さららさん……もしかして?」
「たぶん…ね。」
それから、二人でたくさんたくさん話して。
一人で抱え込んでいたら重過ぎる不安も、
二人で共有すれば、泣きながらでも、お互いを心で支え合えるの。
さららさんのこと、いっぱい話して。
出待ちスタンバイに行く頃には、その事実を既に知っていた。
何故なら、その方のところへ、電話が入ったから。
「挨拶状、届いたらしいよ」って。(泣)
少し早めにスタンバイ場所に行くと、私たちが先頭だった。
やがて、それぞれの場所から皆(ほぼ入り待ちと同じ面子)、集まってきたんだけれど、ね、苦しかったよ。
だって、まだ公の場には発表されていない以上、口にすることはできなかったのよ。
(>その時点では、まだ携帯にも発表が出ていなかった)
想いを共有したいのに、それが許されないもどかしさ。
針をさすと、粉々に散らばってしまいそうな繊細で脆いガラスの膜のように、
張り詰めた、何ともいえない悲しく重い空気が広がっていてね、
私は、そのまま黙っていたら、ぐちゃぐちゃに壊れてしまいそうで、
無理に、笑顔をつくって、しゃべり続けた。
人は、悲しすぎると、却って、無理に明るく振舞ってしまうものらしい。
>後から聞いた話、皆、私のことを心配して下さっていたらしいが。(まだ、さららさん退団のことを知らないんじゃないのだろうか?と。)
大丈夫。
そのときには、もう知っていたよ。
…って、全然、大丈夫、じゃなかったけど。
長い時間が経って、ようやくさららさんが楽屋口から出てこられた。
私たちは、そこで待って下さっているさららさんの元へ、急いで駆けていった。
夕陽差し込む花の道を。
そして、いつもの場所まで、さららさんについて、歩いていく。
皆、泣きそうになりながら、でも、無理に笑顔をつくって、
さららさんに、お手紙をお手渡しして。
やがて、さららさんは、
一人一人の顔を、ゆっくりしっかりと見つめてから、
一呼吸して、覚悟を決めたように、静かに私たちに向かって語り始めた。
「皆さん、もう知っていると思いますが……」
これから先は言わない。
でも、人間って不思議だね。
あのとき、私、あんなに放心状態で聞いていたはずなのに、
何故か、一言一句、覚えていたんだもん。
完全に、ではないけれど。
そして、最後にもう一度、
一人一人の顔を、しっかり見つめてから、さららさんは、お帰りになられた。
笑顔で、何度も何度も振り返っては、手を振って下さって。
中には、嗚咽している方もいらっしゃったんだけれども、
あのとき、確かにあの空間は、あそこに存在していたと思う。
この日から、私たちは、さららさんと共に、青春を走り抜けた。
どこまでも、どこまでも、夢に向かって、走り続けた。
皆、さららさんのことが、好きだったから。
あれからもぅ一年。
なんて、ときが過ぎるのは、早いんだろう。
一年後の今日、
私は、この日記を書いている。
心の宝物箱の中の、あの夏の日のことを思い出しながら…。
今尚、こうしてさららさんファンで在り続けられていることが、
私にとっては、何よりも幸せなことであり、生きる糧になっているんだろうな。
だから、これからもこの想いを大切にしていきたいです!!!
さららさん、大好きだ(0^−^0)
コメント
私も分かります。
マミちゃんの退団聞いた時は腰が砕けて座り込みました。
覚悟してたけど、やっぱりショックでしばらく放心状態。
ファンになるとこの日を迎えるのがつらい・・・。
またまたやってくるのか・・・と。
でも今はめでたい事が待ってる。(もちろんTOKOちゃんの事)
まだ考えまい。
しかしTOKOちゃんを追う今でも“マミちゃん大好きだ”です(笑)
どなたを応援していても、もしかすると同じようなものなのかもしれませんね^^
私にとってさららさんは、まさに♪初めての恋♪であり、
また、人生一番自由な(笑)大学時代に回り逢ったので、勢いのまま突っ走れたといいますか、まさに”青春”って感じで。だからこそ、余計に思い入れが強いのです(照)
でも...やっぱりサエちゃんもトウコちゃんも好き☆(欲張りだ)