一年前の昨日。
それは、月バウ『BourbonStreet Blues』さららさんのお茶会のあった日。
だけど、私には、全てが”幻”であって欲しい、と信じたかった日。

あの日の自分は、そんなことを知らない。
あの日の自分は、まさかこの不安が現実になるとは、知る由もなかったのだから。

いや、あの時、既に確かに、どこかで確信している自分はいたけれど。

あの日、皆は気づいたのだろうか?
気づいていた人もいたかもしれないし、あるいは、気づかなかった人もいるかもしれない。

でも、あの日のお茶会は、確かに最初から、何かおかしかったんだ。

歯車が狂っていたんだ。

…自分の中で。

一向に、さららさんのお話に、乗れなかったの。
いつもなら、あんなにも夢中になって、一つ一つのお話に、お言葉に、聴き入ってしまうのに。

どうしてだろう?

その時は、気づかなかった。
だけど、後になって、気づいた。

あの日のさららさんは、「夢」を語らなかったの。

いつもなら、宝塚歌劇団の男役として、これからの希望や夢を、抱いていらっしゃるのに。
話してくださるのに。

あの時、既にさららさんが、退団を決意していたかどうかは知らない。
だけど、少なからずそういう意識はあったのだと思う。
だって、それが、表情に表れていたから。

たぶん、ほとんどの人は気づかなかったと思うけど。

帰りの電車の中でも、私はダークな気持ちのままだった。

快速電車に乗って、途中まで、東京からの方たちと一緒に帰ったのだけれど、
いつもとは違って、押し黙ったままで。

その時、私、言ったんだよね。 

「…さららさんが退団しそうな気がする。」って。

あの時の、私の呟きを聞いたのは、たぶん2−3人もいなかったと思うけど。

ただ、不安で、心配で、たまらなかった。
たくさんの胸騒ぎが、その時、私の心を支配していた。

そして、それは、翌日の親睦会でもつづく。

そぅ、昨日の段階では、これは私の思い過ごしだって信じたかったの。
私自身のテンションの問題だったんだって。私自身の体調の問題だったんだって。

でも、不安は拭い切れなかった。
寧ろ、更に大きくなって、私の心を支配していった。

別に、さららさんが悪かったって言うんじゃない。
さららさんは、表面上はいつものさららさんで、でも、その時だけは、どこか冷たい感じがしたんだ。
この微妙なズレ。
それは、私が過剰に反応していただけなのか、それとも本当にそうだったのかは、
今となっては分からないけれど。

二度と思い出したくなくて、この時のお茶会&親睦会映像を、購入していないからね。

写真の中の私は、笑っている。
それは、真実。

親睦会のとき、終演後のロビーを貸切にして、
赤い絨毯がひいてある、客席へ向かう階段のところで、集合写真を撮ったんだよね。

あれは、素敵な想い出。私の宝物。

だけど、あの時のお茶会と親睦会で感じた、不安な気持ちは、何かの予兆は、
もう二度と訪れて欲しくない。
あの時のような想いを、もう二度としたくはない。

それから…
とりあえず私は、千秋楽まで走り続けた。
さららさんと仲間と一緒に、どこまでもあの夏の日を走り続けた。

でも、そこから集合日まではとてつもなく長かったんだ。
不安で、心配で、居てもたってもいられなくて、
その日が来て欲しくない、そんなことばっかり考えてしまうほど、思い詰めていて。

X DAYと、自分の中で名づけていた集合日。

できるならば、この予感が的中して欲しくなかったあの集合日。

その日のことは、その日に至るまでの自分のことは、また改めて書くことにしよう。

7月17,18日。
私にとっては、色んな意味で忘れられない日だ。

コメント

るなこ
るなこ
2006年7月20日2:11

なんか泣けてきます。。。
紫音さんの気持ち、一字一句、ご贔屓は違っても痛いほどわかるから。

でも何度こんな痛さやせつなさ経験しても、やっぱり宝塚が大好きな自分がいたりするんだよね。
それ以上の「宝物」、たくさん、ご贔屓さんから、走り抜けた日々から、もらったんだなあ、と今でも思います。

紫音
紫音
2006年7月20日20:22

そぅなんですよね。

ご贔屓さんが退団されても、今尚こうして宝塚を愛している自分がいる、それってきっと、「自分だけのもの」じゃなくて、ご贔屓からいっぱいもらったものもあると思うんです。

そして、一度経験したからこそ、その辛さが分かるというか、でも、今思えば、ああして好きな人と同じ空間にいられるひとときが、自分にとって、あんなに大きな「幸せ」だったんだって気づいたりして。

だからこそ、みんな、幸せになってほしいなって思います♪

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