瑞々しく、凛々しく、美しい女性@星ベルばら-ミズカル編?-
2006年1月27日 星組 コメント (1)ミズカルは、瑞々しく、凛々しく、美しい女性だった。
観終わった後、私はそう感じた。
容姿的には有無も言わせぬ完璧さであったが、声や芝居は”男役”だったコムカル。
容姿的にも美しく、植田芝居も実力で完全にものにしていたが、
その分、貫禄があったカシカル。
芸達者で可愛かったが、如何せん植田芝居役者ではないキリカル。
(きりやんは正塚先生ものとか現代もののほうが合う)。
ミズカルは、瑞々しく、凛々しく、美しい女性だった。
ミズさんのオスカルは、
観終わった後、私の中では、一人の女性の一生というより、
神聖さと勇敢さを併せ持つ高貴なる女神の伝説って感じで息づいていたり。
まるで、宗教絵画とかに描かれていそうな…。
私が一番にイメージしたのが、
ドラクロアの”民衆を導く自由の女神”なんだけど、
何だろうね、衛兵隊士や民衆たちの怒りやパワー、荒々しい"原色"の中に、一人清らかなまでに美しく輝いているその透明感。
透明感に満ち溢れながらも、”凛々しさ”や”聖なる魂”を持った、そんなオスカルでした。
”女性的”というか、声も仕草もナチュラルに普通に女性なのね。
何なんだろうね。
ミズカルの、ナチュラルな女性としての繊細さが、私を引きつけたのかな。
なんか、すごく共感した。
感情移入した。
本当に、自然体な一人の女性だったんだもん。
だから、何だろう、
さっき言ったこととは矛盾しているけれど、ある意味等身大ヒロイン?のような。
守ってあげたくなるような、そんな感じ。、
でも、だからといって、変に弱弱しい訳では決してないのね。
しっかりとした「魂」を持った、れっきとしたオスカル様なの。
でも、男装麗人というより、本当に普通に女性。
ミズカルは、自然体なんだけど、でも、ありえないほどに美しいんだ。
何なの?あの透明感。
見かけじゃなくて、精神というか、本当に崇高なまでに美しかった。
だから、その存在が、女神のような神聖さを生み出していたというか。
(容姿的にも美しかったですよ)
最後のバスティーユの場面。
あそこのミズカルは、まるで美しく尽き果てる炎の水晶のよう。
コムカルや、
カシカルや、
キリカルには、
どちらかというと、オスカルそのものから「人間味」「力強さ」を感じたのだけれど、
ミズカルには、
「力強さ」というより、「凛々しさ」、清清しいほどの透明感を感じた。
透明といっても、それこそ水晶の輝き、のような。
神聖なオーラというか、
叫びや、怒りや、所謂”人間の感情”を、全て包み込み、
超越してしまうほどのある意味恐ろしくも美しい静かな後光に満ちていたというか。
「動」より、寧ろ「静」で、
ミズカル自身はすごく透明で、
そのやり場のない叫び、怒り、苦しみ、”動の感情”は、
全て神剣の矛先に集まっている感じで、
ミズカル自身はありえないほどの静かな美しさに満ちているの。
でも、単なる「静」じゃなくて、「動」を超越した「静」なんだ。
だから、恐ろしいほどのエネルギーが静かに静かに満ち溢れていて….
美しかった。
銃弾に一度は倒れたミズカル。
だけど、
最愛のアンドレから生命(いのち)の源をもらって、
寧ろ、アンドレと同化して、
最後の力を振り絞って立ち上がり、”炎の魂”を抱いて、
渾身の力で敵に立ち向かっていく….みたいな。
純粋に感動しました。
感情移入し、泣きました。
(いや、私は究極涙腺が固い人間なので、実際には泣きませんでしたが・爆)
視点を変えて説明すると、
タイプ的には、たぶんカシオスカルとミズオスカルは同列の位置に在すると思うのよ。
でも、ある境を越えて、両オスカルは両極端に位置する。
神に召されるその瞬間、
鮮やかなカラーが鮮烈に飛び散っていくような、そんな印象のカシカル。
凛々しく儚く、炎の水晶を魂の深底に浮かべたまま、命が尽き果てる、そんな印象のミズカル。
(*1/6の日記参照)
カシカルは、鮮明に脳裏に焼きつくような、そんな鮮やかな印象を人に与えるのに対して、
ミズカルは、その凛々しさと透明感がしっとり心を潤わせる、
そんな印象を与えるような、そんな気がしたんだ。
絵で例えるなら、
カシカルは油彩、ミズカルは水彩のような(ミズサイじゃないよ・笑)
どちらも、美しくて、
どちらも、麗しくて、
今なお、私の胸を捕えて、離さないの。
どちらも、素晴らしかったけど、
でも、私的にはミズカルのほうが好みだった。
そんなこんなで、
私にとっては最初で最後のミズカルでしたが(雪はまた別)、
こんなことなら、無理してでも、先に一度観ておくんだった…って後悔してしまうほど、
私的にはクリーンヒットのミズカル様でした。
歌唱力的には、…だったけどね(爆)
観終わった後、私はそう感じた。
容姿的には有無も言わせぬ完璧さであったが、声や芝居は”男役”だったコムカル。
容姿的にも美しく、植田芝居も実力で完全にものにしていたが、
その分、貫禄があったカシカル。
芸達者で可愛かったが、如何せん植田芝居役者ではないキリカル。
(きりやんは正塚先生ものとか現代もののほうが合う)。
ミズカルは、瑞々しく、凛々しく、美しい女性だった。
ミズさんのオスカルは、
観終わった後、私の中では、一人の女性の一生というより、
神聖さと勇敢さを併せ持つ高貴なる女神の伝説って感じで息づいていたり。
まるで、宗教絵画とかに描かれていそうな…。
私が一番にイメージしたのが、
ドラクロアの”民衆を導く自由の女神”なんだけど、
何だろうね、衛兵隊士や民衆たちの怒りやパワー、荒々しい"原色"の中に、一人清らかなまでに美しく輝いているその透明感。
透明感に満ち溢れながらも、”凛々しさ”や”聖なる魂”を持った、そんなオスカルでした。
”女性的”というか、声も仕草もナチュラルに普通に女性なのね。
何なんだろうね。
ミズカルの、ナチュラルな女性としての繊細さが、私を引きつけたのかな。
なんか、すごく共感した。
感情移入した。
本当に、自然体な一人の女性だったんだもん。
だから、何だろう、
さっき言ったこととは矛盾しているけれど、ある意味等身大ヒロイン?のような。
守ってあげたくなるような、そんな感じ。、
でも、だからといって、変に弱弱しい訳では決してないのね。
しっかりとした「魂」を持った、れっきとしたオスカル様なの。
でも、男装麗人というより、本当に普通に女性。
ミズカルは、自然体なんだけど、でも、ありえないほどに美しいんだ。
何なの?あの透明感。
見かけじゃなくて、精神というか、本当に崇高なまでに美しかった。
だから、その存在が、女神のような神聖さを生み出していたというか。
(容姿的にも美しかったですよ)
最後のバスティーユの場面。
あそこのミズカルは、まるで美しく尽き果てる炎の水晶のよう。
コムカルや、
カシカルや、
キリカルには、
どちらかというと、オスカルそのものから「人間味」「力強さ」を感じたのだけれど、
ミズカルには、
「力強さ」というより、「凛々しさ」、清清しいほどの透明感を感じた。
透明といっても、それこそ水晶の輝き、のような。
神聖なオーラというか、
叫びや、怒りや、所謂”人間の感情”を、全て包み込み、
超越してしまうほどのある意味恐ろしくも美しい静かな後光に満ちていたというか。
「動」より、寧ろ「静」で、
ミズカル自身はすごく透明で、
そのやり場のない叫び、怒り、苦しみ、”動の感情”は、
全て神剣の矛先に集まっている感じで、
ミズカル自身はありえないほどの静かな美しさに満ちているの。
でも、単なる「静」じゃなくて、「動」を超越した「静」なんだ。
だから、恐ろしいほどのエネルギーが静かに静かに満ち溢れていて….
美しかった。
銃弾に一度は倒れたミズカル。
だけど、
最愛のアンドレから生命(いのち)の源をもらって、
寧ろ、アンドレと同化して、
最後の力を振り絞って立ち上がり、”炎の魂”を抱いて、
渾身の力で敵に立ち向かっていく….みたいな。
純粋に感動しました。
感情移入し、泣きました。
(いや、私は究極涙腺が固い人間なので、実際には泣きませんでしたが・爆)
視点を変えて説明すると、
タイプ的には、たぶんカシオスカルとミズオスカルは同列の位置に在すると思うのよ。
でも、ある境を越えて、両オスカルは両極端に位置する。
神に召されるその瞬間、
鮮やかなカラーが鮮烈に飛び散っていくような、そんな印象のカシカル。
凛々しく儚く、炎の水晶を魂の深底に浮かべたまま、命が尽き果てる、そんな印象のミズカル。
(*1/6の日記参照)
カシカルは、鮮明に脳裏に焼きつくような、そんな鮮やかな印象を人に与えるのに対して、
ミズカルは、その凛々しさと透明感がしっとり心を潤わせる、
そんな印象を与えるような、そんな気がしたんだ。
絵で例えるなら、
カシカルは油彩、ミズカルは水彩のような(ミズサイじゃないよ・笑)
どちらも、美しくて、
どちらも、麗しくて、
今なお、私の胸を捕えて、離さないの。
どちらも、素晴らしかったけど、
でも、私的にはミズカルのほうが好みだった。
そんなこんなで、
私にとっては最初で最後のミズカルでしたが(雪はまた別)、
こんなことなら、無理してでも、先に一度観ておくんだった…って後悔してしまうほど、
私的にはクリーンヒットのミズカル様でした。
歌唱力的には、…だったけどね(爆)
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