―どんな悲しみに出会っても、希望は必ず訪れるー@プルーフ・オブ・マイ・ライフ
2006年1月24日 映画今日はお休み。
昨夜までは、明日宝塚行こーかなあ。
逸翁デー興味あるしー等とぼんやり考えていたのだが、
朝起きてみたらすっかり昼で(爆)、何故だか行く気力もなかったのであっさり断念。
替わりに、妹に誘われて映画行って来ました。
何を観るとか全然決めてなかったのだが、
妹推薦の『ハリポタ』と『THE有頂天』は即却下(興味なし・笑)。
完全に私主導で、何となくこの作品を選んでみた。
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
うん☆
肌触りが良い、というか、
私のフィーリングに合う感じで、純粋に魅入られました。
スコット・フィッツジェラルドじゃないけど、
人生にそっと寄り添っていてくれるような、そんなあたたかみと優しさが感じられる作品。
素朴な味わいというか、
無意味な派手さとか必要以上の過剰表現とかは全然なくて、
人間の本質…とまでは行かなくても、ハートにじんわりと染み渡ってくるような、
鉄筋コンクリートの高層マンションではなくて、
昔ながらの木造の家のような、ほっとするようなぬくもりに包まれる、そんな映画で。
とても余韻が美しかったです。
若さと、美しさと、天才的な数学者としての才能と──そのすべてに恵まれているのに、生きる気力を失ってしまったキャサリン。そのすべての原因は、最愛の父親の死。
―天才と讃えられた父がどんどん壊れていくのを私だけが見ていたー
ロバートは、キャサリンにとって、
最愛の”父親”であり、
理想の”数学者”であり、
何より、彼女にとっては、
唯一無二、”魂”を共有できる、そんな存在だったのだと思う。
天才ならではの”孤独”や”苦しみ”を、本当の意味で理解してくれるであろう唯一の存在。
ある意味、ロバートはキャサリンの鏡であり、
キャサリンはロバートの鏡である。
だから故、キャサリンは独りぼっちになった部屋の中で、ユメを見る。
正気と狂気の間でもがき苦しんでいたロバートの姿。
「研究を再開して欲しい」…キャサリンの願いはとうとう叶わぬまま。
「名だたる数学者がずっと昔から挑戦しているにもかかわらず、
誰も成し遂げられなかった定理の証明を成し遂げてみせる」
ロバートの執念は、最期まで一瞬たりとも消えることはなかった。
最期まで、彼は数学を愛し、数学と生き、”天才数学者”として此処に確かに存在していた。
たとえどんどん壊れていっていたとしても….
キャサリンにとっては、
それは苦しみでもあり、一種の理想でもあり、微かな希望を抱いていたり…
だがしかし、その願いが叶うことはなかった。
ロバートが生涯を終えるその少し前、
キャサリンが遂に導き出した、これまで誰も成し遂げられなかった定理の証明。
そして、それは彼女にとっては、彼女自身に、
三年前のほんのひととき、
確かに「正気」だった天才数学者ロバートの”確かな存在”を証明したことにもなったのだ。
ロバート=キャサリン。
それはまた、父親と過ごした日々、『ブルーフ・オブ・マイ・ライフ』でもあった。
―天才と讃えられた父がどんどん壊れていくのを私だけが見ていたー
都合の良いように人は天才を讃賛し、都合の良いように人は天才を見捨てる。
”真実”を見定めることができない、不条理な世の中。
ここにあるのは、”真実”の愛と、”真実”の生きる叫びだ。
………………………………………………
最初から、
私の心は、キャサリンの”孤独”に共鳴してした。
尤も、私には、そんな才能も、美貌も、持ち合わせてはいないけれど、
だけど、本質はそんなところにあるんじゃなくて、もっと深いところにあるんじゃないかって。
人間って、
いわゆる天才も普通のヒトも、みんなひとりぼっちで孤独な生き物だと私は思うのね。
強がっていても、それは隠せない。
何かね、心に響いたの。
何なんだろうね、この切なさ。
キラキラと湖を照らす光の雫のような美しくも静かな余韻。
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
ささやかだけど、”形”じゃない”ハート”の「幸せ」をいっぱいもらった、そんな映画でした。
昨夜までは、明日宝塚行こーかなあ。
逸翁デー興味あるしー等とぼんやり考えていたのだが、
朝起きてみたらすっかり昼で(爆)、何故だか行く気力もなかったのであっさり断念。
替わりに、妹に誘われて映画行って来ました。
何を観るとか全然決めてなかったのだが、
妹推薦の『ハリポタ』と『THE有頂天』は即却下(興味なし・笑)。
完全に私主導で、何となくこの作品を選んでみた。
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
うん☆
肌触りが良い、というか、
私のフィーリングに合う感じで、純粋に魅入られました。
スコット・フィッツジェラルドじゃないけど、
人生にそっと寄り添っていてくれるような、そんなあたたかみと優しさが感じられる作品。
素朴な味わいというか、
無意味な派手さとか必要以上の過剰表現とかは全然なくて、
人間の本質…とまでは行かなくても、ハートにじんわりと染み渡ってくるような、
鉄筋コンクリートの高層マンションではなくて、
昔ながらの木造の家のような、ほっとするようなぬくもりに包まれる、そんな映画で。
とても余韻が美しかったです。
若さと、美しさと、天才的な数学者としての才能と──そのすべてに恵まれているのに、生きる気力を失ってしまったキャサリン。そのすべての原因は、最愛の父親の死。
―天才と讃えられた父がどんどん壊れていくのを私だけが見ていたー
ロバートは、キャサリンにとって、
最愛の”父親”であり、
理想の”数学者”であり、
何より、彼女にとっては、
唯一無二、”魂”を共有できる、そんな存在だったのだと思う。
天才ならではの”孤独”や”苦しみ”を、本当の意味で理解してくれるであろう唯一の存在。
ある意味、ロバートはキャサリンの鏡であり、
キャサリンはロバートの鏡である。
だから故、キャサリンは独りぼっちになった部屋の中で、ユメを見る。
正気と狂気の間でもがき苦しんでいたロバートの姿。
「研究を再開して欲しい」…キャサリンの願いはとうとう叶わぬまま。
「名だたる数学者がずっと昔から挑戦しているにもかかわらず、
誰も成し遂げられなかった定理の証明を成し遂げてみせる」
ロバートの執念は、最期まで一瞬たりとも消えることはなかった。
最期まで、彼は数学を愛し、数学と生き、”天才数学者”として此処に確かに存在していた。
たとえどんどん壊れていっていたとしても….
キャサリンにとっては、
それは苦しみでもあり、一種の理想でもあり、微かな希望を抱いていたり…
だがしかし、その願いが叶うことはなかった。
ロバートが生涯を終えるその少し前、
キャサリンが遂に導き出した、これまで誰も成し遂げられなかった定理の証明。
そして、それは彼女にとっては、彼女自身に、
三年前のほんのひととき、
確かに「正気」だった天才数学者ロバートの”確かな存在”を証明したことにもなったのだ。
ロバート=キャサリン。
それはまた、父親と過ごした日々、『ブルーフ・オブ・マイ・ライフ』でもあった。
―天才と讃えられた父がどんどん壊れていくのを私だけが見ていたー
都合の良いように人は天才を讃賛し、都合の良いように人は天才を見捨てる。
”真実”を見定めることができない、不条理な世の中。
ここにあるのは、”真実”の愛と、”真実”の生きる叫びだ。
………………………………………………
最初から、
私の心は、キャサリンの”孤独”に共鳴してした。
尤も、私には、そんな才能も、美貌も、持ち合わせてはいないけれど、
だけど、本質はそんなところにあるんじゃなくて、もっと深いところにあるんじゃないかって。
人間って、
いわゆる天才も普通のヒトも、みんなひとりぼっちで孤独な生き物だと私は思うのね。
強がっていても、それは隠せない。
何かね、心に響いたの。
何なんだろうね、この切なさ。
キラキラと湖を照らす光の雫のような美しくも静かな余韻。
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
ささやかだけど、”形”じゃない”ハート”の「幸せ」をいっぱいもらった、そんな映画でした。
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