男役としての色気と中性的な魔力と月の光と…@バウ・スペシャル
2006年1月17日 雪組朝海ひかるバウ・スペシャル
『アルバトロス、南へ』
作・演出/荻田浩一
濃密な芝居と洒脱なショーの二部構成で、朝海ひかるの魅力を凝縮してお届けする、意欲的なバウ作品。
……………………
私は正直、
朝海ひかるというジェンヌのことを、
スターになるべくしてなった器であるとは、心から納得しつつも、
果たして、トップスターになるべき器であったか?と問われると、素直にYESと言えない。
ショーに於いてだけ言えば、
成程、それだけのオーラも華もあるなと感じるのだが、
そう感じる場面は、大抵、
男役群舞の中心にいるときやフィナーレ、所謂男役トップスター朝海ひかるとして息づいているときではなく、
寧ろ、ストーリー的な流れの中で”一つの生命体”として存在しているときのほうが多い。
男役としての耽美的な要素であったり、朝海ならではの女役の妖艶な魔力であったり、その他諸々、
ダンスでの表現も然ることながら、
それ以上に、彼女本来の持ち味というか、魂が生きている、
その魂と共鳴した瞬間に、私は彼女のオーラに面白いように吸い寄せられていくのだ。
逆に言えば、
所謂男役トップスター朝海ひかるとして息づいているときは、私には男役を”造っている”感がする。
”創っている” ではなく ”造っている”ような…
勿論、男役といえども、皆れっきとした女性である。
故に皆、初めは雛鳥の状態であるのは当然として、徐々に”男役”として自分なりの型をつくっていく。
そして、その中からやがて”スター”が育ち、さらにその中からトップスターが生まれる。
私は宝塚と回り逢ってまだ日が浅い。
だから、トップスターに就任する前までの彼女の軌跡を、男役スターとしての彼女を、実はあまりよく知らない。
なので、あくまでトップスターになってからのことだが、
特にお芝居、どうも私には、完成された”男役芸”には見えないのだ。
勿論、芸の世界、完成なんて文字はないと思う。
だけど、トップスターたる者、
自分なりの”男役像””型”みたいなものは、ある程度既に確立されているのが当然だ。
いや、それ自体は、彼女にも充分形づいていると思うし色づいているとも思う。
私が言いたいのは、
その上に今彼女が被っている”トップスター”としての膜が少し不自然な気がするということ。
何ていうか、無理しているというか、頑張って”造りあげている”、そんな感じ。
動作や仕草や、特に声。何ていうか、自然体に見えないんだよね。
虚構の世界といえども”男性”に見えない。
いや、立派な”男性”ではあるけれど、コムちゃんが主演男役を演じている、みたいな。
何とももどかしい気持ちになるのだ…
トップスターとしては、まだまだ未完成に見えるんだよね、ぶっちゃけ。
というか実際のところ、そんなに急かしてトップスターにする必要が何処にあったのか?と疑問に思えてならない。
ワインにたとえると、まだ若すぎって感じ。
彼女の個性や魅力、トップスターになるに充分な器や貫禄を身につけるのには、
焦らずに、もっともっと時間をかけて愛情たっぷりに熟成させるべきだったのでは?と思うのだ。
彼女自身には、「魅力」がたくさんあるから。
多分、まだまだ「未知の可能性」が息を潜めているはずだから。
トップになってからのコムちゃんは、正直お芝居作品にあまり恵まれていなかったと思う(除「銀の狼」)。
…彼女の「可能性」をさらに拡げる、という意味では。
ここに来て、
『朝海ひかる バウ・スペシャル』の発表。
荻田先生演出、しかもお芝居&ショーの二本立て。
もうもしかすると時間はあまり残されていないのかもしれない。
だけど、この企画で、朝海ひかるの新たなる魅力が、新たなる側面が、
今まで開きそうで開かなかった重い扉が、
オギーの手によって解き放たれそうで、導かれそうで、今からワクワクしている。
朝海ひかるという”トップスター”を輝かせてくれるであろうバウ公演、心から楽しみだ。
『アルバトロス、南へ』
作・演出/荻田浩一
濃密な芝居と洒脱なショーの二部構成で、朝海ひかるの魅力を凝縮してお届けする、意欲的なバウ作品。
……………………
私は正直、
朝海ひかるというジェンヌのことを、
スターになるべくしてなった器であるとは、心から納得しつつも、
果たして、トップスターになるべき器であったか?と問われると、素直にYESと言えない。
ショーに於いてだけ言えば、
成程、それだけのオーラも華もあるなと感じるのだが、
そう感じる場面は、大抵、
男役群舞の中心にいるときやフィナーレ、所謂男役トップスター朝海ひかるとして息づいているときではなく、
寧ろ、ストーリー的な流れの中で”一つの生命体”として存在しているときのほうが多い。
男役としての耽美的な要素であったり、朝海ならではの女役の妖艶な魔力であったり、その他諸々、
ダンスでの表現も然ることながら、
それ以上に、彼女本来の持ち味というか、魂が生きている、
その魂と共鳴した瞬間に、私は彼女のオーラに面白いように吸い寄せられていくのだ。
逆に言えば、
所謂男役トップスター朝海ひかるとして息づいているときは、私には男役を”造っている”感がする。
”創っている” ではなく ”造っている”ような…
勿論、男役といえども、皆れっきとした女性である。
故に皆、初めは雛鳥の状態であるのは当然として、徐々に”男役”として自分なりの型をつくっていく。
そして、その中からやがて”スター”が育ち、さらにその中からトップスターが生まれる。
私は宝塚と回り逢ってまだ日が浅い。
だから、トップスターに就任する前までの彼女の軌跡を、男役スターとしての彼女を、実はあまりよく知らない。
なので、あくまでトップスターになってからのことだが、
特にお芝居、どうも私には、完成された”男役芸”には見えないのだ。
勿論、芸の世界、完成なんて文字はないと思う。
だけど、トップスターたる者、
自分なりの”男役像””型”みたいなものは、ある程度既に確立されているのが当然だ。
いや、それ自体は、彼女にも充分形づいていると思うし色づいているとも思う。
私が言いたいのは、
その上に今彼女が被っている”トップスター”としての膜が少し不自然な気がするということ。
何ていうか、無理しているというか、頑張って”造りあげている”、そんな感じ。
動作や仕草や、特に声。何ていうか、自然体に見えないんだよね。
虚構の世界といえども”男性”に見えない。
いや、立派な”男性”ではあるけれど、コムちゃんが主演男役を演じている、みたいな。
何とももどかしい気持ちになるのだ…
トップスターとしては、まだまだ未完成に見えるんだよね、ぶっちゃけ。
というか実際のところ、そんなに急かしてトップスターにする必要が何処にあったのか?と疑問に思えてならない。
ワインにたとえると、まだ若すぎって感じ。
彼女の個性や魅力、トップスターになるに充分な器や貫禄を身につけるのには、
焦らずに、もっともっと時間をかけて愛情たっぷりに熟成させるべきだったのでは?と思うのだ。
彼女自身には、「魅力」がたくさんあるから。
多分、まだまだ「未知の可能性」が息を潜めているはずだから。
トップになってからのコムちゃんは、正直お芝居作品にあまり恵まれていなかったと思う(除「銀の狼」)。
…彼女の「可能性」をさらに拡げる、という意味では。
ここに来て、
『朝海ひかる バウ・スペシャル』の発表。
荻田先生演出、しかもお芝居&ショーの二本立て。
もうもしかすると時間はあまり残されていないのかもしれない。
だけど、この企画で、朝海ひかるの新たなる魅力が、新たなる側面が、
今まで開きそうで開かなかった重い扉が、
オギーの手によって解き放たれそうで、導かれそうで、今からワクワクしている。
朝海ひかるという”トップスター”を輝かせてくれるであろうバウ公演、心から楽しみだ。
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